『ばけばけ』明治時代のうさぎ事情が気になる!商いがあったりペットとして飼っていた?

『ばけばけ』明治時代のうさぎ事情が気になる!商いがあったりペットとして飼っていた?
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NHK朝ドラ『ばけばけ』で、松野トキの父親・司之介(岡部たかし)がうさぎで商売をするシーンが話題になっています。

明治8年という時代設定で「舶来のうさぎを1匹5円で仕入れて600円で売る」という描写に、多くの視聴者が「本当にそんなに儲かったの?」と疑問を抱いているのではないでしょうか。

実は明治時代、うさぎは現代では想像できないほどの高額で取引され、投機対象として社会問題にまでなった動物でした。

江戸時代から食用として親しまれていたうさぎが、なぜ明治時代に突然バブル商品となったのか。

その背景には文明開化とともにやってきた西洋文化への憧れと、没落士族たちの生活再建への願いがありました。

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目次

江戸時代のうさぎ事情:食卓の常連だった

明治時代のうさぎブームを理解するためには、まず江戸時代のうさぎの立ち位置を知る必要があります。

縄文時代の貝塚からうさぎの骨が出土することからも分かるように、うさぎは古くから日本人にとって貴重なタンパク源(食料)でした。

江戸時代には、うさぎが「縁起の良い食べ物」とされ、徳川将軍家では正月にうさぎ肉入りのお雑煮を食べる習慣があったそうです。

これは徳川家康以前の松平家時代、冬の信州で困窮した際にうさぎを狩って雑煮を作った故事に由来するとされています。

興味深いのは、うさぎを「一羽、二羽」と数える習慣の由来です。

仏教の戒律で四足の動物の肉食が禁じられていた時代、うさぎの耳を鳥の羽に見立てて「鳥類」として扱い、堂々と食べていたというのが有力な説です。

また、「鵜(う)と鷺(さぎ)だから鳥」という言葉遊びで正当化していたという説もあります。

明治時代のうさぎバブル:空前絶後の投機熱

文明開化がもたらした価値観の変化

明治4年(1871年)頃から、東京を中心に外来種のカイウサギが愛玩動物として人気を集め始めました

文明開化の象徴として西洋文化を取り入れることが「進歩的」とされた時代背景の中で、舶来のうさぎを飼うことは富裕層のステータスシンボルとなったのです。

特に人気だったのが「更紗模様」と呼ばれる白地に黒い斑点があるうさぎ(兎)でした。

このようなヨーロッパから輸入された珍しい毛色のうさぎは、見た目の美しさだけでなく希少価値の高さから、華族や士族を中心に熱狂的に求められたのです。

驚愕の価格高騰:600円のうさぎが実在した

明治5年(1872年)頃には、うさぎの価格が急激に高騰しました。

当時の巡査の初任給が月4円、公務員の初任給が月8~9円という時代に、珍しい品種のうさぎは以下のような価格で取引されていました

  • 普通のうさぎ:30円前後
  • 珍しい外来種:200~300円
  • 最高級品種:600円

これを現代の価値に換算すると、1円は約2~3万円に相当するため、600円のうさぎは現在の1,200~1,800万円という驚異的な価格だったことになります。

うさぎ会:品評会から投機市場へ

この価格高騰を支えたのが「兎会(うさぎかい)」と呼ばれる品評会です。

待合茶屋などで開催されるこの集まりでは、うさぎの優劣を競い合い、気に入ったうさぎがあれば高額で売買されました。

相撲取りや歌舞伎役者のように「うさぎ番付」も作られ、人気のうさぎには熱狂的なファンがつくほどだったといいます。

種付け用のオスうさぎともなれば、1回の交配料が2~3円という高額な料金が設定されていたとのことです。

商売としてのうさぎ飼育:一攫千金を狙う人々

没落士族の新たな収入源

明治維新により職を失った武士たちにとって、うさぎ飼育は格好の副業となります。

特に外国から珍しい品種を輸入して繁殖させ、子うさぎを高値で売るという「うさぎ事業」が注目されました。

朝ドラ『ばけばけ』の松野司之介のような没落士族にとって、うさぎ商売は「武士の面目を保ちながらできる商売」として魅力的に映ったのです。

実際に、うさぎで大もうけして家を新築する者も現れるほどの好景気でした。

悪徳商人と詐欺の横行

うさぎブームが過熱するにつれて、悪徳商人による詐欺行為も横行しました。

最も多かったのが白いうさぎに柿渋で色を塗り、珍しい品種として高額で売りつけるという手口です。

明治6年2月の新聞には、白うさぎを柿渋で染めて2円で販売した商人が発覚し、2円の罰金、杖打ち60回、懲役60日という厳しい処罰を受けたという記録が残っています。

うさぎ騒動殺人事件:投機熱の悲劇

うさぎブームは時として悲劇も生みました。

明治6年4月には、うさぎの売買を巡る親子喧嘩が殺人事件に発展するという痛ましい事件が発生したとのこと。

ある男が飼っているうさぎを150円で売ろうとしたところ、父親が欲をかいて200円でなければ売らないと主張。

しかし、その夜うさぎが死んでしまい、親子の口論が激化して父親が死亡するという事件でした。

うさぎ税の導入とバブル崩壊

社会問題化への行政対応

明治5年7月、大阪府は「兔市」や「兔集会」を禁じる布令を最初に出しました。

東京府でも同様の問題が深刻化し、うさぎ飼育に熱中して本業をおろそかにする者が続出していました。

しかし、単純な禁止令では効果が薄く、外国人名義での取引や秘密の売買会が後を絶ちませんでした。

そこで東京府が考案したのが「うさぎ税」という画期的な解決策でした。

うさぎ税の詳細:月1円の重税

明治6年12月、東京府は「兎取締規則」を制定し、以下の内容でうさぎに課税しました

  • 飼育届出制:うさぎ1羽につき月額1円の税金
  • 無届飼育:1羽につき2円の過怠金
  • 兎会の禁止:品評会や競売の完全禁止

当時の米10~20kgが1円で買えた時代に月1円の税金は、現代換算で月3万円程度という重税でした。

これは現在でいえば、ペット1匹につき月3万円の税金を課すようなものです。

バブル崩壊とうさぎの悲劇

うさぎ税の導入により、うさぎの価格は一気に暴落しました。

法律制定前に30円で取引されていたうさぎが、廃止される頃にはわずか5銭(1円=100銭)にまで下落したのです。

多くの投機家が破産し、売り抜けられなかったうさぎは川に捨てられたり、打ち殺されたり、「しめこ鍋」にして食べられるという悲惨な末路を辿ったといいます。

一部の真の愛好家だけが高い税金を払いながら飼育を続けましたが、投機対象としてのうさぎブームは完全に終焉を迎えました。

アンゴラうさぎと日本の養兎業

明治時代のアンゴラうさぎ

明治4年(1871年)、フランスから輸入されたアンゴラうさぎが京都博覧会に出品されたのが、日本への渡来の最初とされています。

当初は「アンゴラ」ではなく、長い毛が犬に似ていることから「ムク(無垢)」と呼ばれていたようです。

アンゴラうさぎは後に毛織物の原料として重要な位置を占めるようになり、昭和初期には日本の飼育頭数が60万頭と世界一になるまでに発展しました。

食用から愛玩・毛皮利用へ

明治時代を境に、うさぎの用途は大きく変化しました。

江戸時代までの「食用」から、明治時代には「愛玩用」「投機対象」となり、さらに「毛皮用」「軍需物資」としての価値も認識されるようになったのです。

戦時中には日本陸軍向けの毛皮調達を目的とした大量飼育が行われ、うさぎ肉は副産物として流通していました。

しかし戦後、毛皮需要の減少と狩猟文化の衰退により、現在のようにうさぎ肉を見かけることはほとんどなくなりました。

現代から見た明治うさぎブーム

明治時代のうさぎバブルは、現代の仮想通貨ブームやNFTバブルと似た構造を持っています。

希少性、投機性、社会的ステータスという三要素が重なり合って生まれた、日本版「チューリップバブル」とも呼べる現象でした。

朝ドラ『ばけばけ』で描かれる「5円で仕入れて600円で売る」という設定は、史実の価格高騰を参考にした演出として理解できます。

実際の取引では、普通のうさぎで30円程度、最高級品種で600円という記録があり、ドラマの描写は歴史的事実に基づいた設定と言えるでしょう。

まとめ:『ばけばけ』で描かれた明治時代の【うさぎ】事情について

明治時代のうさぎ事情は、現代の私たちが想像する以上に複雑で興味深いものでした。

江戸時代まで食用として親しまれていたうさぎが、明治初期には投機対象として社会問題化するほどの高額取引されるようになったのは、文明開化という時代の大きな変化があったからです。

舶来のうさぎを飼うことが西洋文化への憧れとステータスシンボルとなり、没落士族たちの生活再建の手段としても注目されました。

朝ドラ『ばけばけ』で描かれるうさぎ商売の描写は、この歴史的事実に基づいた設定であり、明治時代の社会情勢と人々の心境を象徴的に表現したものと言えるでしょう。

現代でも通用する投機心理や社会現象の本質を、うさぎというかわいらしい動物を通じて描いた秀逸な演出でした。

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