NHK朝ドラ『ばけばけ』第104回(2026年2月26日放送)で、とんでもないシーンが生まれました。
吉野イセ(芋生悠)が語った「人形の墓」の言い伝えを聞いたおトキ(髙石あかり)が、イセの座っていた座布団にあえて腰を下ろし、「呪いが乗り移った」と宣言して倒れてしまったのです。
SNS上では「本気?芝居?」「おトキちゃんの優しさに涙」と大反響。制作統括の橋爪國臣氏も「どちらの解釈でもいい」と語り、視聴者の間でさまざまな考察が飛び交っています。
この記事では、「おトキは本当に呪われたのか」「それともイセのために呪われたフリ(演技)をしたのか」の両面から、徹底的に考察します。
第104回の場面描写、制作サイドの発言、原作「人形の墓」との比較、さらには第105回の”伏線”まで、あらゆる角度からひもといていきます。
『ばけばけ』第104回のあらすじ|おトキが倒れるまでの流れ
まずは、第104回で何が起きたのかを整理しましょう。
第21週「カク、ノ、ヒト。」では、熊本で執筆活動に取り組むヘブン(トミー・バストウ)の題材探しをトキたちが手助けする展開が続いています。
トキとフミ(池脇千鶴)は吉野イセ(芋生悠)と村上茂吉(緒方晋)と出会い、ヘブンの前に連れてきます。
しかし、日本通のヘブンは「嘘をつくと来世で蛇になる」などの言い伝えをすでに知っており、知っている話ばかりで不機嫌になってしまいます。
皆があきらめムードになる中、トキはイセに「イセ自身が呪われている話」をしてほしいと切り出しました。
イセが語った「人形の墓」の言い伝えとは
イセはついに重い口を開きます。
- 10歳のころ、父が急死し、ほどなく母も亡くなった
- 村には「1軒の家で1年のうちに2人が亡くなると、3人目も死に、4人目は呪われた一生を送る」という言い伝えがあった
- 藁人形を入れた「人形の墓」という小さな墓を作れば不幸は避けられるとされていた
- イセと兄は迷信だと思い、人形の墓を作らなかった
- その後、兄も亡くなり、イセだけが残された
- 慌てて人形の墓を作ったが、時すでに遅し
- 大病を患い、借金苦に見舞われ、村人から「呪われた女」と言われ続けてきた
茂吉は「自業自得じゃ! 言い伝えば守らなかったからな!」と言い放ち、場は重苦しい空気に包まれました。
おトキの「驚きの行動」
イセが「お役に立てず…呪われる前にお清めしてください」と立ち上がったその瞬間、トキはイセが座っていた座布団にあえて腰を下ろします。
「むしろ、信じちょります。信じちょりますけん。呪われるとか、楽しくて、ゾクゾクします。
きたきたきたきたきた…感じちょる。こんなに重たいんだ。頭が痛い。大丈夫かわからんけど、楽しい…。
おイセさん、不幸せ、私に乗り移ったけん、これからはきっとエエことある。
昔は私もエエことなかった。だけど、今はエエこといっぱいある! だけん。ね?」
震える手を見て笑うトキ。
イセに笑顔が戻り「ありがとうございます」と言った直後、トキはパタリと倒れてしまいました。
その夜、ヘブンはトキに「スバラシ ココロ」と感謝を伝え、ブードゥー人形を使って「フシアワセ ノロイ ウツルシマシタ」と呪いを移す仕草を見せます。
トキは「ただの…呪われたがりなだけですけん」と、はにかみながら微笑みました。
【説①】おトキは本当に呪われた説
まずは、トキが実際に呪いの影響を受けて倒れたとする説から検証します。
根拠1:トキの「怪談好き体質」
トキは物語の序盤から一貫して、怪談や呪いに異常なほどの親和性を持つキャラクターとして描かれてきました。
第1回では松野家総出で丑の刻参りをしていたほどで、ヘブンからブードゥー人形をもらった際も「早く呪いたいなあ」と目を輝かせていました。
こうした「怪談オタク」「呪いマニア」ともいえる体質を考えると、本当に呪いを信じ込み、その暗示にかかって身体が反応してしまった可能性は十分にあります。
根拠2:「きたきたきた」という段階的な身体反応
座布団に座った直後の「きたきたきたきたきた…感じちょる」「こんなに重たいんだ」「頭が痛い」という訴えは、じわじわと症状がエスカレートしています。
もし演技ならば、一気に倒れるほうが劇的で効果的です。しかし実際には段階的に進行しており、これは本当に何かを感じていたことの表れとも読み取れます。
根拠3:第105回の「眠気」という伏線
第105回では、英語を習うトキが突然の眠気に襲われ、「おイセさんの呪い、今ごろ来たのかな~」とつぶやく場面があります。
この時期は史実では1893年11月、つまり長男・一雄(小泉一雄)が誕生する直前にあたります。
眠気は妊娠初期症状を示唆している可能性が高く、だとすれば第104回で倒れたのも呪いではなく妊娠による体調変化だったとも考えられます。
ただし、トキ自身はそれに気づかず「呪いのせい」と本気で感じていたという解釈も成立します。
根拠4:「音楽がなければ、呪いにしか見えなかった」
制作統括の橋爪國臣氏は「音楽がないと本当に呪いが移ったとしか思われなくなる可能性もあるので、実は穏やかな音楽をつけてどちらにも見えるように作りました」と語っています。
つまり、音楽なしで映像だけを見れば「本当に呪われた」と解釈できるほどの迫真性があったということ。演出側がそれほどリアルに仕上げていたのです。
【説②】イセのために呪われたフリをした説
次に、トキがイセを助けるため、あえて呪いにかかったフリをしていたとする説を検証します。
根拠1:ラシャメン騒動でイセの苦しみを誰よりも理解できた
トキは松江でヘブンと一緒に行動していたことで「ラシャメン(外国人の妾)」と噂され、石を投げられて額に怪我を負った経験があります(第87回)。
いわれのない偏見と噂によって深く傷ついた当事者だからこそ、「呪われた女」として村人から孤立してきたイセの苦しみを誰よりも理解できたはずです。
さらに、ヘブンと出会う前は貧しい生活を送っていた点もイセと共通しています。
だからこそ、自分がイセの不幸を引き受ける「芝居」を打って、イセの心を少しでも軽くしてあげようとしたと考えるのは、非常に自然だと言えそうです。
根拠2:倒れた後の「ケロッとした様子」
倒れた後、夜になってヘブンの元へお茶を運んだトキは、ケロッとした様子で「ただの…呪われたがりなだけですけん」と微笑んでいます。
本当に呪いで気を失ったのなら、これほど素早く回復して平然としているのは不自然です。
この台詞は、呪われたフリをしていたことを自覚しつつ、それをさらりと受け流す「トキらしさ」の表現と読み取ることができます。
根拠3:原作「人形の墓」と重なる「思いやりの行為」
ドラマの元ネタである小泉八雲の短編「人形の墓」(『仏陀の国の落穂』収録)では、女中のイネが身の上話を語り終えた後、八雲はイネの温もりが残る座布団にあえて座ります。
不幸が移ることを恐れたイネの願いを無視してそのまま座った八雲に、老僕の万右衛門は「旦那様はお前の不幸を引き受けてくださったのだ」と伝えました。
つまり、原作における「座布団に座る」行為は、相手への思いやりからくる意志的な行動でした。
ドラマではその役割がトキに置き換えられており、トキの行動もまた「優しさからの意志的な芝居」である可能性が強く示唆されています。
根拠4:ヘブンの執筆意欲を引き出すための行動だった
トキがイセの呪い話を引き出した最大の動機は、執筆に行き詰まっていたヘブンに「書きたい!」と思わせる題材を届けることでした。
自分が呪われたフリをして倒れることで、イセの話にドラマチックな「オチ」をつけ、ヘブンの心を動かす効果があったとも考えられます。
実際にその夜、ヘブンは夢中で執筆に没頭し、トキの行動に深く感銘を受けていました。
制作統括・橋爪國臣氏の「公式見解」
この議論に対し、制作統括の橋爪國臣氏は複数のメディア取材でコメントを残しています。
シネマトゥデイ(https://www.cinematoday.jp/)の取材では、こう語っています。
「イセの話を盛り上げようと、トキが呪いにかかって倒れてあげたふりをしたのかもしれない。
そうでなく、本当に呪いにかかってしまった、どちらの解釈でも僕はいいと思います。
脚本のふじき(みつ彦)さんがどう考えて書いたかは知っていますが、個人としては、どう解釈されてもいい。
その方が、ドラマとして面白いんじゃないかと思います」
ENCOUNT(https://encount.press/)の取材では、演出上の工夫についても明かしています。
「音楽がないと本当に呪いが移ったとしか思われなくなる可能性もあるので、実は穏やかな音楽をつけてどちらにも見えるように作りました」
ここで注目したいのが「脚本のふじきさんがどう考えて書いたかは知っている」という発言です。
脚本家の中には明確な答えがあるにもかかわらず、あえて明かさないことで視聴者の解釈の余地を残す——これは意図的な演出方針です。
また橋爪氏は、
「ヒロインが全てを受け止め、何かをしてあげたみたいなことはしたくなかった。そういうことにトキを持っていきたくない」
とも語っており、単純な「自己犠牲の優しいヒロイン」像に収めないという強い意図がうかがえます。
ヘブンがブードゥー人形で呪いを「移した」シーンの意味
第104回のラスト、ヘブンがブードゥー人形を使ってトキにかかった呪いを人形に移すシーンが描かれました。
ブードゥー人形は第8週(第40回)でトキがヘブンからもらったアイテムで、劇中では「針を刺して願いを叶えたり呪ったりする」ものとして登場しています。
小泉八雲はニューオーリンズ時代にブードゥー教の文化を取材しており、このブードゥー人形は史実に基づいた小道具でもあります。
ヘブンが人形に呪いを移す行為は、「呪いが本当だったとしても、自分が解いてあげる」というヘブンなりの愛情表現です。
と同時に、トキの行動を認め、受け入れたことの象徴でもあります。
そして何より、ヘブンがトキに伝えた言葉が印象的です。
「アナタノコトバ、アナタノカンガエ、ワタシ、ヒツヨウ。モットモット、ネガイマス」
ヘブンにとって最も大切だったのは、呪いが本物かどうかではなく、トキの「言葉」と「感性」そのものでした。
このシーンは、トキがヘブンの「リテラシーアシスタント」として歩み始める、重要な転換点となっています。
原作「人形の墓」と比べてわかるドラマの深み
ドラマの元になった小泉八雲の短編「人形の墓」は、『仏陀の国の落穂(Gleanings in Buddha-Fields)』(1897年)に収録されています。
原作では、八雲の家で働く子守娘・イネが身の上話を語る形式です。
イネの家族は父・母・祖母・兄・幼い妹の6人暮らしでしたが、父が急死し、わずか8日後に母も亡くなります。
周囲に「人形の墓を作らないと、もう一人葬式を出すことになる」と警告されましたが、その言葉通り、兄も病に倒れて息を引き取りました。
原作のクライマックスは、話を聞き終えた八雲がイネの温もりの残る座布団にあえて座る場面です。
不幸が移ることを恐れたイネの訴えを無視して座った八雲に、老僕の万右衛門は「旦那様はお前の不幸を引き受けてくださった」と伝えました。
ドラマではこの八雲の行為がトキに置き換えられ、さらに「トキが倒れる」という劇的な演出が加わりました。
原作の八雲は静かに座っただけですが、トキは「呪いが来た」と身体反応まで見せて倒れるという、より踏み込んだ表現になっています。
原作を知っているとドラマの深みがさらに増す構造になっています。
『ばけばけ』第105回の「眠気」は妊娠の伏線か
第105回では、英語を勉強中のトキが突然の眠気に襲われ、「おイセさんの呪い、今ごろ来たのかな~」とつぶやくシーンがあります。
この時期は史実では1893年11月、長男・一雄(小泉一雄)が誕生する直前にあたります。つまり、トキの眠気は妊娠初期の症状を示唆している可能性が高いのです。
だとすれば、第104回でトキが倒れた原因も、呪いではなく妊娠による体調変化だったという解釈が成り立ちます。
トキ自身は妊娠に気づかず「呪いのせい」と面白がっている——この構図は、脚本家・ふじきみつ彦氏による巧みなミスリードといえるでしょう。
呪い・思いやり・妊娠という3つの要素が同時に成立する多層的な演出が、『ばけばけ』の脚本の精巧さを物語っています。
SNSでの視聴者の反応
第104回放送後、SNS上には多くの声が集まりました。
「呪いは本物」派の声
- 「トキちゃん、本当に感じてた…あの表情は演技じゃない」
- 「呪いが大好きで本当にかかっちゃったんだと思う」
「優しさの芝居」派の声
- 「おイセさんを不幸から救うための優しい嘘だと思う」
- 「本気か気遣いか…でもおトキがおトキでよかった」
純粋に感動した声
- 「おトキちゃんの優しさに涙が出た」
- 「突然の優しい世界に泣いちゃう」
- 「今朝は涙が止まらない!」
- 「おトキちゃんの本領発揮」
- 「パワーワード『ただの呪われたがり』」
ヘブンへの反応
- 「ちゃんと呪いを解くヘブン先生」
- 「もはや幸せのブードゥー人形」
- 「ヘブンの『アナタノコトバ、ヒツヨウ』に泣いた」
本気か芝居かで解釈は分かれつつも、トキの行動に心を動かされた視聴者が多かったことは、第104回が朝ドラとして非常に高い完成度を持つ回だったことを示しています。
まとめ:おトキの呪いは「どちらでもある」が正解
『ばけばけ』第104回でおトキが本当に呪われたのか、それとも芝居だったのか。
制作統括の橋爪氏が語ったように、「どちらの解釈も正解」です。
むしろ両方の要素が同時に存在するところに、このシーンの真価があります。
整理すると、3つの解釈が同時に成立します。
- 本当に呪われた説:怪談好きで暗示にかかりやすいトキが、本気で呪いを信じてその影響を受けた
- 優しさの芝居説:ラシャメン騒動で偏見に苦しんだ経験を持つトキが、イセを救うためにあえて倒れた
- 妊娠による体調変化説:第105回の眠気と史実の長男誕生時期から、実は妊娠初期の症状だった
脚本家のふじきみつ彦氏には明確な意図があったと橋爪氏は明かしていますが、あえて種明かしをしないことで、視聴者一人ひとりがトキというキャラクターの本質を考えるきっかけになっています。
原作「人形の墓」で八雲がイネの座布団にあえて座ったのは、相手の不幸への共感と思いやりの象徴でした。
ドラマのトキもまた、呪いを本気で楽しむ気持ちと、イセを救いたいという優しさが矛盾なく共存しているからこそ、あの行動が生まれたのでしょう。
そしてヘブンにとって最も大切だったのは、呪いが本物かどうかではなく、トキの言葉と感性そのものでした。
「アナタノコトバ、アナタノカンガエ、ワタシ、ヒツヨウ」——この言葉は、2人の関係が新たな段階へと進む瞬間を象徴しています。
呪いの真偽を超えて、人と人の心がつながる瞬間。それこそが『ばけばけ』が一貫して描いてきた「怪談の本質」なのかもしれません。
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