NHK連続テレビ小説『ばけばけ』で北川景子さんが演じる雨清水タエと、板垣李光人さんが演じる三之丞(三男)の悲劇的な転落劇が大きな話題となっています。
第6週「ドコ、モ、ジゴク。」では、かつての名家・雨清水家の長女・トキの実母であるタエが路上で物乞いをしている衝撃的な場面が放映されました。
同じく困窮の中にある三之丞の姿も描かれるなど、旧士族の転落を鮮烈に描いています。
本記事では、このタエと三之丞のその後の人生について、史実と照らし合わせながら解説します。
雨清水タエのモデル・小泉チエが物乞いから救われた経緯
『ばけばけ』で描かれるタエの物乞いは、実話に基づいているとされています。
タエのモデルとなった小泉チエは、1837年(天保8年)に松江藩の家老・塩見増右衛門の長女として生まれた、名門中の名門に生まれた人物です。
彼女は松江藩内でも「稀に見る器量の持ち主」として知られる美女でした。
しかし、1886年(明治19年)に夫・小泉湊が経営する機織会社が倒産。翌1887年(明治20年)には夫に先立たれてしまいます。
武家の娘として育ち、賃仕事をすることができないという特殊な価値観を持つチエは、生活が困窮。
最終的に食べるために物乞いを選ばざるを得ないという、驚くべき転落を余儀なくされたのです。
そんなチエを救ったのが、実の娘で松野トキのモデルである小泉セツでした。
1891年(明治24年)8月にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と結婚したセツは、同年から実母チエに毎月9円の仕送りを開始。
これがチエの物乞いの生活を終わらせることができた決定的な転機となったのです。
この史実をと照らし合わせると、タエもトキの仕送りによって物乞い生活から抜け出せるor抜け出せていると考えてよいでしょう。
小泉セツの献身的な支援と仕送りの継続
セツの仕送りはチエが亡くなるまで途切れることなく続けられました。
チエは1912年(明治45年)に74歳で亡くなりますが、その21年間にわたって娘からの支援を受け続けたと言われています。
注目すべきは、小泉八雲がセツと結婚する際に、イギリス国籍から日本国籍への帰化を決断した主な理由が、セツの経済的扶養者となるためだったという点です。
万一自身の身に不幸が起きた場合、全財産がセツをはじめとした日本の家族に確実に相続されるようにするための配慮でした。
これはチエのような、セツが支えるべき家族の存在を理解していたからこその選択だったのです。
三之丞のモデル・藤三郎の悲劇的な人生
一方、三之丞のモデルとなった小泉藤三郎の人生は、さらに悲劇的なものでした。
藤三郎は1870年(明治3年)7月28日に、松江藩の上士・小泉弥右衛門湊とチエの三男として生まれました。
父方の小泉家は松江藩の三職(家老・中老・番頭)のうち番頭に列する家柄。
母方の塩見家も中老や家老を輩出した名門です。
つまり、藤三郎は藩内切っての武家の名族の血を引く存在でした。
しかし、廃藩置県や秩禄処分によって士族が衰退していく時代、藤三郎は多くの課題を抱えていました。
兄の氏太郎が町娘と駆け落ちして家を出奔し、次兄の武松は19歳で早逝したため、藤三郎が家業の継承者として期待されることになったのです。
史料によると、藤三郎は「学問は嫌いだが、山野を駆けて鳥の飼育・繁殖に熱中した」性格だったとされています。
苦労知らずで育った藤三郎と、困窮した稲垣家で育ったセツとの意識の差は大きかったと考えられます。
父・湊がリウマチで寝込むようになると、家業は低迷。
学問や仕事に身が入らない藤三郎に対して、父は厳しく当たり、鞭で打ち据えることもあったとされています。
家業の倒産と深刻な困窮
1887年(明治20年)に父・湊が亡くなると、小泉本家の運命はいよいよ傾きました。
ドラマで描かれるように、藤三郎とチエが困窮する中、セツが女中として月額を稼ぐようになった時期(1891年2月)に、セツからの金銭的支援が始まったのです。
藤三郎と八雲の断絶
1895年(明治28年)10月3日付で、セツが松江市役所に提出した小泉八雲との「外国人結婚願」には、「本家小泉藤三郎」と連名での記載がありました。
藤三郎はセツの結婚手続きにおいて保証人的な役割を果たしていたのです。
しかし、1896年(明治29年)、セツと八雲が東京に引っ越す際に深刻な事態が明らかになります。
小泉本家の墓参りに訪れた八雲は、本来あるべき墓が存在せず、へこんだ土地だけが残されているのを見つけたのです。
僧侶への問い合わせで、藤三郎が墓所を売却していたことが判明しました。
その後、東京を訪ねた藤三郎を八雲は厳しく叱責しました。
「あなたは武士の子です」と前置きして、「なぜ墓の前で腹を切らなかったのか」と糾弾し、帰るように促したと伝わります。
三之丞のモデル・藤三郎の最期は孤独死
藤三郎は、姉セツからの仕送りを頼りに生活を続けました。
ドラマでは「人を使う立場でしか働けない」という武家の価値観に縛られて、まともな職に就くことができない三之丞の姿が描かれています。
実在の藤三郎もほぼ同様の状況に置かれていたと思われます。
そして大正5年(1916年)、藤三郎は45歳の若さで亡くなります。その最期は孤独死でした。
空き家で発見されたという記録が残されており、いかに彼が孤立していたかを物語っています。
三郎が経験した「働き口」「家督」「面目」の三重苦は、明治という時代が旧家にもたらした悲劇そのものでした。
セツの献身的な援助があったにもかかわらず、藤三郎は旧士族としての価値観から逃れられず、現代社会への適応に苦しみ続けたのです。
朝ドラ『ばけばけ』が描く歴史的意義
『ばけばけ』でタエと三之丞のような人物たちが登場することの意味は大きいと思います。
ドラマでは、松野トキやレフカダ・ヘブンの物語が中心に描かれていますが、その背景には、彼らが支え、あるいは支えられた家族たちの悲劇的な転落と奮闘の物語もあったのです。
明治の大きな社会変化の中で、個人的な価値観の葛藤に向き合わざるを得なかった人物たちの実像を、ドラマは描いています。
まとめ:『ばけばけ』物乞いになったタエと三之丞はその後はどうなった?
『ばけばけ』で物乞いとなったタエは、実の娘・セツの献身的な仕送りによって救われたと見られます。
三之丞は、モデル・藤三郎の人生を踏襲するのであれば、悲劇的な最期を迎える可能性があります。
おトキとヘブンが表の物語とすれば、タエと三之丞は裏の物語として、今後の再登場と二人の人生の描かれ方に注目です。
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